妻の陣痛
妻の陣痛は6月27日の朝からしていた。
朝から「腰が痛い、腰が痛い」と何度も言うたびに自分は腰をさすった。
すると楽になるのか陣痛が治まる度に「ありがとう」の言葉が返ってきた。
正直に言うと、朝からの腰の痛みを陣痛だと認識したのは夜のことだった。
陣痛だと思っていなかった二人は赤ちゃんがおりて出産しやすいように昼からイオンに歩きに行った。
しかし、今まで普通に歩けていた距離が今日に限っては全然歩けない。
十数分おきにくる痛みが妻の歩みを止めた。
休憩で何度もソファーに座り腰をさすったが、もう無理と途中で歩くのを断念し、家に帰った。
夜になり二人はこれが陣痛ではないかと思い始め、アプリで陣痛の間隔を計った。
27日の21時頃、激しい雨が時折降るなか、陣痛が10分を切るようになった。
7回連続で10分を切って病院に電話すると病院に来てくれと言われ、苦しむ妻を雨の中、病院に連れていった。
23時30分、病院に着くとすぐに妻は内診を受けた。
自分が30分くらい待っていると子宮口が4cmほど開いていると言われ、入院することが決まった。
病室に着くと、妻と陣痛の戦いが始まった。
この時既に陣痛は7分程度の間隔になっており、徐々に短くなっていた。
妻はベッドで左側を見るように横になり、自分はその後ろに少し密着し、痛みが来るたびに腰をさすった。
痛みの来る合図は妻の左手が、自分の左手を強く握った時だった。
妻は痛みのたびに「ふぅ~~~~」と長い息を口から吐き、鼻から息を吸い痛みを紛らわし続けた。
28日午前6時、6時間もの戦いに耐え子宮口が完全に開き、病室から陣痛室へとステージを変えることになった。
陣痛室では、妻は点滴をして更に腹部に陣痛の強さを計る機械を取り付けられた。
陣痛が来ても看護師さんが妻の腰をさすったりしなかったので、自分もさするのを控え様子をみるだけにとどめた。
そして痛みのたびに自分の手を差し出し、妻に強く握ってもらうことで陣痛の痛みを紛らわせようと努めた。
7時くらいに娘の様子を見にるため、お義母さんが病院にやってきた。
妻の様子を陣痛室で少し見てもらって、病室で待ってもらうようにした。
妻の陣痛は時間が経っても強くならず、9時前くらいに陣痛促進剤使用の紙に同意の署名を妻が書いた。
投与され一時間もしないうちに、臍帯圧迫による胎児心拍数減少が見られたので、帝王切開を選択することになり、陣痛との戦いは麻酔を打たれ幕を閉じることになった。