ぼんやりとした瞳
今日は自分の父、リサにとってはおじいちゃんと一緒に病院に行った。
新生児室に行くと、リサは起きていた。
まだあまり見えていないせいか、ぼんやりとした瞳で二人を見てきた。
見てきたといっても、焦点が合ってリサと視線が合うことはない。
それでも嬉しかったのは、おじいちゃんの方をあまり見る事はなく、ほとんど自分の方を見てくれていたことだ。
生まれてから毎日会っているので、少しは覚えてくれているのかな、と都合のいいふうに考えているだけかもしれないが、やっぱり嬉しいものだ。
今日リサを見ていて思ったのは、一度何かを見始めるとなかなか瞬きしないこと。
今日だと自分の胸あたりに視線があり、自分が5、6回瞬きするも一度もリサは瞬きをしなかった。
もし集中力があって何かを見ているのならば、きっと新米パパを様々な面で超越していきそうだなと思う。
立派にならなくても、たぶん最初に超越されるのは友達の数だろうなあ。
大人になって年を取る度に連絡を取り合う相手を選んでいたから、と寂しいことも考えてしまう新米パパ。
今は本当にぼんやりとしていてリサの瞳は見えていないが、成長して進路を考えるようになった時にも、ぼんやりとした瞳で将来を見通せていないかもしれない。
そう言うときに第一子でしっかりとした助言ができるかはわからないが、道を示せるくらい親として成長していたいと思う。