スペアなんていない
以前この記事で妹を交通事故で亡くした過去を書いた。
月に一度程度リサを連れて父と会うのだが、会うたびに「スペアでもう一人子供を作っておけ」と言われる。
言われるたびにお金がないからと躱すのだが、正直何度も言われることに腹立たしく感じている。
事故で娘を亡くしたからの言葉なのはわかる。
だけど、代わりになるなんて到底思えない。
自分の中でリサは唯一無二の存在。
もし、もう一人子供がいてもどちらも唯一無二の存在。
絶対にスペアになんてなりえない。
親だったら自分と同じ考えの人もいるだろう。
しかし、子供の代わりがいないことに気付けても、自分の代わりがいないことにも気付けているだろうか?
親にとって子は唯一無二。
子にとって親は唯一無二。
自分にとって友は唯一無二。
友にとって自分は唯一無二。
自分の代わりがいない以上、自分をもっと大切にしてほしい。
人は自分以外の他人に優しくできる生き物だ。
だが、他人を大切にしているぶん、自分をないがしろにしている。
その最たる例がいじめや過労などで自殺した人の遺書に表れていると思う。
遺書の中で『お父さんお母さんごめんなさい』などと謝り、自分が頑張り切れなかったことや必要のない人間だと思い死んでゆく。
しかし、苦しみながらも大切な人にはメッセージを送る。
誰しも大切な人がいるってわかっているのに、自分が誰かにとっての大切な人だっていうことに気付いていない。
新米パパもリサが生まれてようやく気が付いたから、子供時代に気付くことは難しいだろう。
子供時代は反抗期があり、親のことを大切な人だと思えない時期がある。
反抗期に親がどれだけ子供に愛情を捧げられるかで、大人になった時に無償の愛に気付くのではないだろうか。
今は人口減で人手不足の世の中になってきた。
一億総活躍社会と銘打ってはいるが、子育て世代はなかなか社会進出が難しい。
今回の選挙で教育の無償化を打ち出しているが、どこまで無償化の恩恵があるのかはわからないでいるし、待機児童で保育園に入れられなければ意味がないかもしれない。
もし、幼児教育や高校が完全無償化されるような社会になれば、家計に少しは余裕ができてくるだろうが、その時に長時間働きに出るのか子供と向き合い子育てをしっかりするのかが悩みどころでもある。
年収アップを取るか、子供を取るか?一億総活躍社会を政権が掲げるなら、社会の風潮として正しいと思われるのは働きに出る事だろう。
しかし、子供に愛情を捧ぐ時間を減らしたくないと思っている自分は、ほどほどに働くことを選び、子供と過ごす時間を大切にし自分も大切にすると思う。
自分を大切にするというのは健康に生き続けるということだと思っている。
健康に生き続けるだけで、自分と関わりを持つ人に優しさを伝播させることができるのだから。
リサは唯一無二で、自分も唯一無二。
もちろん自分が読ませてもらっているブロガーさんも唯一無二で、スペアなんていない。
なのでみなさん、健康に生き続けましょう!