子育てで一番意識すること『自分の死』
子育てをしていて意識することは色々ある。
リサの手本になるように心がけようとか、お風呂で洗い残しなく清潔に保とうとか、小さいことが多いけれど、一番意識するのが『自分の死』だ。
自分は、29歳で若い。
だから、自分が死ぬなんてことは今まで考えたこともなかった。
しかし、リサが生まれることで考えはガラリと変わる。
自分はリサより早く死ぬ。
当然と言えば当然のことだが、気付いた時には悲しくなった。
生物として自分の遺伝子を残すことは達成し、今はリサを立派に育てあげる段階。
リサに何を伝え、何を遺せるか。
自分の中で子育ては、いわゆる終活なのではないかという思いに至っている。
終活の第一段階が子育て、第二段階がリサを立派に育て上げてから始まる妻との余生、最終段階はリサに子育てを教えながらの孫を育成。
どの段階も自分の伝えたい想いを遺す大切なひととき。
最終段階まで自分が辿り着くまで、健康でいないと話にならない。
先日、血圧や血管年齢などを無料で測定できる機械を置いている場所で、健康が気になり夫婦で測定してみた。
左が自分、右が妻
どちらも実年齢より血管年齢が高く、健康状態が悪いことが分かった。
原因は食生活・運動不足・ストレスなどあるが、少しずつでも改善しないと長生きへの障壁となるだろう。
しかし、一度に全部は解決できないので、簡単に取り掛かれる運動不足から解消していこうと思っている。
晩婚化や高齢出産が当たり前になった日本では、子育てで『自分の死』を意識する人が少なからずいるだろう。
そういう人に問いたい。
「自分の死を身近に感じてなお、長時間労働で子供にお金しか遺せない人生でいいんですか?」
自分は非正規だから子供と過ごせる時間がたくさんある。
年収はもちろん低いが、いずれ妻がパートなどで働いてくれれば、貧乏ながらにやっていける自信があり、人生に悲観などしていない。
人の生き方も十人十色だけど、仕事だけの人生はつまらないように思う。
定年でやることをなくし、居場所や家族の信頼もない人生は寂しいから。
意識が変われば自分が変わる。
どんな意識を持ち、どんな人生を送るのかを選択するのは自分のみ。
どうか、自分自身が豊かになる意識を持って欲しい。