立つ幸せ、幸せのハードル
今回はかなりの黒塗り写真。
理由は洗濯物を中に干していたり、部屋が散らかっていたりしたので、妻から黒塗り範囲の指導を受けました。
これはリサがこたつに手を置いて自力(もたれて)で立っている様子です。
手は足がいつガクンと崩れるかわからないので、すぐフォローが出来るように数センチ離しています。
写真じゃちょっとわかりにくいかもしれません。
リサは立つだけで嬉しそうにします。
この気持ちは大人になった自分には、もうわかりません。
立って感じる幸せって何だろう?
大人は立つことが目的ではなく、仕事や家事などのために重い腰を上げて、立ち上がります。
なので、自分にとって立つのは憂鬱そのもの。
けれど、リサの嬉しそうな表情を見ていると憂鬱以外のことも感じさせられました。
当たり前なんですが、立てるのは健康な証なんですよね。
数か月前に祖母が転倒して骨折した時は、立ち上がることが出来ず寝たきりの時がありました。
今は少し歩けるようになりましたが、未だにお風呂を一人で入ることが出来ず、週三回ヘルパーさんに入れてもらっている状況です。
立てる幸せは大人にとって失って実感できるありがたみであり、赤ちゃんにとって出来ないことが出来た時の幸せなのかもしれません。
大人になるにつれ、幸せのハードルがどんどん高くなってきます。
ですが、小さな幸せはいつも身近にあることを子育てで気付かされました。
幸せのハードルが低いリサ。
パパが笑顔でいるとリサも笑顔に。
幸せの基準を赤ちゃんまで下げると、ほとんどの人が幸せになれると思います。
余計なことを考えず、誰かの笑顔を見たら幸せを感じちゃいましょう。
小さな幸せは道端に落ちています。